2018-04-06

Sennin Chuzan Chusan

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Chuusan Shoonin, Chūzan, Chūsan 中算上人 (ちゅうざん) Saint Chuzan

He is Nr. 32 of
. 日本の仙人37人 - The 37 Immortals of Japan .

Not much to be found about this Immortal.
(935 - 976)

山階寺の僧である中算 Chuzan from temple Yamashinadera
興福寺の僧である中算 Chuzan from the temple Kofuku-Ji


... Chusan, another disciple of Kusei, worked miracles at Nachi ...


- quote -
One of the leaders of the Yamashina temple community was the monk 中筹 Chusan, who was staying at a small residence near the Kangaku-In while his community was putting pressure on the government officials. One night, in the presence of a number of his disciples, Chusan suddenly said that someone was approaching, but his disciples could see no one, no matter how hard they looked.
Nevertheless, shortly afterward the disciples could hear Chusan conversing with someone, and when they asked him with whom he was speaking, he replied that it was Ryogen of the Enryaku-Ji.
the monks incredulous, exclaimed: "What are you saying? But, Ryogen is dead!..."
Then, realizing that it must have been the departed spirit of the deceased Ryogen that came to speak with their master, they became speechless with fear.
The next day Chusan, saying that he felt ill, excused himself from attending the hearing on the Gion question. Without their leader, and recalling the eerie event of the preceding night, the monks of the Yamashina temple were confused and upset, and when the court failed to issue the judgement that they were hoping for, they quickly left Kyoto and withdrew to their home temple.
... Chusan died in 969, sixteen years before Ryogen died . . .
- source : citeseerx.ist.psu.edu... pdf file -

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Kōfukuji and the Mountains of Yamato
..... Later, during a terrible drought,
Chusan struck the rock of a mountain with his sword and cool water gushed forth "like a waterfall." ...
- source : jstor.org/stable .. Tyler Royall .. -

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. Kōfukuji, Koofukuji 興福寺 Kōfuku-Ji .
Kōfuku-ji has its origin as a temple that was established in 669 by Kagami-no-Ōkimi (鏡大君), the wife of Fujiwara no Kamatari, wishing for her husbands's recovery from illness. Its original site was in Yamashina, Yamashiro Province (present-day Kyoto).
In 672, the temple was moved to Fujiwara-kyō, the first artificially planned capital in Japan, then again in 710, moved to its current place, on the east side of the newly constructed capital, Heijō-kyō, today's Nara.


- wikipedia -


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- quote -
今昔物語 - Konjaku Monogatari  
今ではもう昔のことだが、一条摂政殿のお住まいになっていた桃園は、現在の世尊寺という寺である。そこで摂政殿が季の御読経を行われたときに、比叡山・三井寺・奈良の並々ならぬ学僧たちを選んでお招きになったので、学僧たちは皆参上したのだが、夕座を待っている間に、僧たちは並んで座って、ある者は経を読み、ある者は世間話などして座っていた。
寝殿の南側の部屋を御読経所として用意してあったので、その御読経所に並んで座っているうちに、南側の築山・池などがたいそう美しいのを見て、興福寺の僧中算が言うことには、「ああ、この御殿の木の立ち方は、よそでは見られないすばらしさだよ」と言ったのを、そばに木寺の基僧という僧が座っていて、この言葉を聞くやいなや、「奈良の法師はやはり無知なものである。いやしいものの言い方をするものだなあ。『こだち』と言うのに、『きだち』と言っているようだな。心もとない(=その学識も不安に思われる)言葉づかいだな。」と言って、爪弾きをぱちぱちとした。中算はこのように言われて、「妙な言い方をしたことだ。しかし、それならばあなたのことを、小寺の小僧と申さなければなりませんね」と言ったところ、その場にいたすべての僧たちは、皆これをきいて大声をあげて爆笑したということだ。
その時に摂政殿が、この笑う声をお聞きになって、「何を笑っているのか」とお尋ねになったので、僧たちがありのままに申し上げたところ、摂政殿は、「これは中算がこのように(=小寺の小僧)言おうと思って、基僧の前で言い出したこと(=きだち)を、どうしてか気付かないで、基僧が中算のわなにはまって、このように(=小寺の小僧)と言われたのは愚かなことだ」とおっしゃったので、僧たちはよりいっそう笑って、それから後、小寺の小僧というあだ名が付いたのであった。「へたに言葉とがめをして、あだ名が付いたよ」と言って基僧は悔しがった。
この基僧は木寺に住んでいたから、木寺の基僧と言うのである。中算は並々でなく優れた学僧であったのに、また(一面)このようにおもしろいことを言う人だった、と、世間では語り伝えているということだ。
- reference source : geocities.jp/kougoyaku -


- quote -
寝殿造りの南側、庭に臨む縁の部分を御読経所に当てていたので、僧たちはそこにずらっと並んで座っていた。南側の池や中島の築山のようすがたいそう趣き深いのを見て、興福寺の若手の学僧として有名だった僧中算(ちゅうざん)が、こんなことを言った。
「ああ、ここのお屋敷のキダチは他のところとはまるで違いますな。ま、何とすばらしいものだ。」
ところが、傍にいた木寺(きでら)の基増(きぞう)という叡山の僧が、これを聞いて、「いやいや、奈良の法師はずいぶんと物を知らん。何とまあみっともない言葉遣いじゃ。コダチとは言うがキダチとは。ああ、何ともはや、情けないことで。」
いかにもあざけるように、爪をパチパチ鳴らしながら言ったものだ。
中算はあわてず、
「おやおや、これは言い間違いをしましたな。では、あなた様の事も小寺(こでら)の小僧(こぞう)と申し上げなければなりませんな。」
とニヤリと笑って見せた。
中算の言葉を聞いた満座の僧たちは、口々に
「小寺の小僧、小寺の小僧とな! これは、これは」
と、ギャハハハハと腹を抱えて大笑い!
さて、この大騒ぎを別室で聞いた摂政殿は、何事かと聞きにやらせると、僧たちがその場のようすをかくかくしかじかと説明したので、摂政殿は
「やれやれ、これは中算がこんな風に言ってやろうと、わざわざ基増の前で言って見せたのじゃ。それを何にも気付かずに基増がまんまと引っかかってしまったのだろう。愚かな奴じゃのう。」
これを聞いて僧たちは、ますます大笑い。その後、基増には『小寺の小僧』という実にありがたくないあだ名がついてしまったので、
「ああ、下手にとがめだてして、いらんあだ名を付けられてしまったわい。」
と、基増は後々まで悔しがった。
この基増は比叡山の幹部の一人で、木寺というところに住んでいたために「木寺」と呼ばれるようになったのである。一方の中算は興福寺きっての俊英だけに、こうした物言いも上手であったと、語り伝えられている。
- reference source : eonet.ne.jp/~jujiro/setuwa... -


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- - #senninchuzan #chuzansennin #chusan-
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